仏教手帳 平成29年8月18日(金曜日)  井宿 友引
 仏暦2560年 西暦2017年 <旧暦6月27日>
 明日先負  明後日仏滅
  明々後日大安
BUKKYO TECHO 《今日は》・・・伝教大師誕生会
仏教名言集
法を見るものは我を見る、我を見るものは法を見る
釈尊の言葉として『相応部ニカーヤ』に伝えられています。「法」とは、保つ、法則、規範などの意味で、仏教ではすべての存在を指すところとなりました。@すべてに備わる法則、A仏陀の教え、という意味があります。
釈尊は永遠不滅の真理というべき「法」をさとり「仏陀」となられたわけですから、仏陀の教えは真理そのものを開くためのものです。仏教とは真理をさとって仏となることをめざす宗教であるということは言うまでもありません。
法を見るものは縁起を見る、縁起を見るものは法を見る
釈尊の言葉です。仏教の根本思想は縁起説であることは言うまでもありません。「これある故に彼あり、これ起る故に彼起る、これ無きゆえに彼無く、これ滅する故に彼滅す」と説かれ、すべての存在は相互の因縁によって生起するもので、決してそこから離れての存在はあり得ません。縁起の法則は、時間と空間を超え厳然として貫かれている普遍の真理であるということを教えています。
自灯明、法灯明
釈尊が八十歳の高齢となり入滅近きころの説法で、「自分自身をよりどころとし、他の者をたよってはいけない、法(普遍的法則)をよりどころとし他のものをたよってはいけない」と諭されました。それが有名な「自灯明法灯明」の言葉となって伝えられています。
灯明の原語は「明かり、ともしび」のほかに、「島」と意味にも解釈されます。大海に漂うが如き我々にあっては、島がよりどころとなります。仏教は人から教わって知るものではなく、自分自身と法をたよりにしてさとりに到るべき道なのであります。
すべてのものは滅びゆくものである、不放逸によりて精進せよ
仏陀釈尊最後の遺誡と伝えられる言葉です。釈尊は最後の遊行を続けパーヴァーの都に到り、鍛冶職人チュンダの供養を受け、これが最後の食事となりました。さらに激しい腹痛下痢に襲われながらもクシナガラに向かい、そこが臨終の地となりました。サーラの双樹の間に頭北面西で横たえ、この遺誡を告げるや禅定に入り完全な涅槃に入られたと伝えられています。
色即是空、空即是色
般若経の空思想を語る代表的な言葉です。「色」とは、眼によって認識できる物質的存在を言います。それがすなわち「空」、固定的な実体が無いというのがその意味です。
因縁所生の縁起は、それだけで独自に存在する実体が無く、その根拠実体を空と捉える、そしてその言葉も仮のものとして認めること、それがすなわち偏見邪執を離れる中道と言えるでしょう。
上求菩提、下化衆生
上に向かっては仏の悟りの智慧を求め、下に向かっては生きとし生ける者を教化救済する、大乗仏教の理念を言い表した有名な言葉です。おのれ独りのみのさとりに満足することを否定し、衆生とともにさとりの彼岸に到ることを厳しく求めています。
一切衆生悉有仏性
『涅槃経』。すべての生きとし生けるものは、すべて仏性を有するということです。真理をさとったものは全て仏となります。われわれのすべてにさとりをひらいて仏となるべき性質があるのですが、纏っている煩悩によってその性質が顕れないのです。われわれ全ての者は、煩悩を払って仏となることを目指さなければなりません。
菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす
『大日経』住心品。古来「三句の法門」と呼ばれ、大日経の所説が集約されていると言われる有名な一説です。
執金剛秘密主が大日如来に対し、一切智智(仏の最高のさとり)が何を因とし、何を根とし、何を究竟(最終目的)とするのかを尋ねたときの、如来の回答です。菩提心はさとりを求める心、大悲とは人々を苦しみから救おうとする大いなる哀れみの心、方便はそのための利他の実践、社会的な実践をさします。
云何が菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり
『大日経』住心品。
三句の法門につづく一説で、菩提(さとり)とは何かを説いています。それは、あるがままの自分の心を知ること(如実知自心)であると。
生死事大、無常迅速
私達人生の最大の課題をいま一度思い知らしめる有名な言葉です。釈尊は人生を「生老病死」の四苦ととらえました、こと生死の問題は最も不可思議な謎で仏教者にとって究極の命題と言えましょう。世の中の一切のものは常に移ろいゆきしかもそれは迅速です。私達もいつ死ぬかわかりません。そのために常に怠らず精進するよう戒めています。 禅寺などに見かける木版には、
「生死事大、無常迅速、各宜覚醒、慎勿放逸」
(生死事大、無常迅速、おのおの宜しく覚醒し、慎んで放逸することなかれ)
または道元禅師の、
「生死事大、無常迅速、光陰可惜、時不待人」
(生死事大、無常迅速、光陰惜しむべし、時人を待たず)
という偈文が書かれています。
迷うがとき人、法を逐(お)い、解(さと)るがとき法、人を逐う
長く初祖達磨の撰とされてきた『安心法門』に見えます。なお、「解るがときは識、色をおさめ、迷ふがとき色、識をおさむ。但し有心にして分別計校し、自心現量せば悉く皆是れ夢なり。若し心の寂滅なるを識りて、一切の念処無くむば、是れを正覚と名づく。・・・」と続きます。難しい文章ですがさとりの真髄を教えているようです。
本来無一物
禅の五祖弘忍(ぐにん)が自らの後継者を決めるため弟子達に詩偈を作らせたとき、六祖慧能が提出した偈にある言葉です。
先に弟子の一人神秀が「身は是れ菩提樹の如し、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹(ひ)かしむることなかれ」と出したのに対し、慧能は「身は菩提樹に非ず、心は明鏡台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん」と返し、慧能はこれによって法嗣とされました。慧能の深いさとりの境地をあらわす言葉です。
さらに「無一物中無尽蔵、花有り月有り楼台有り」という有名な禅語をも生み出しました。この宇宙には決して尽きることのない宝の蔵が本来具わっていて、私達もその中に包含されて、そこから生み出された存在だと言えるでしょう。
篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり
聖徳太子の『十七条の憲法』第二条です。すべてを示せば「二曰。篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり、則ち四生の終帰、萬国の極宗なり、何れの世の何れの人この法を貴わざる、人のはなはだ悪しくなるはすくなし、能く教えればこれに従う、其れ三宝に帰せすば、何を以てかまがれるを直せん」となります。その中でも、人間に本当の悪人は少なく、教化すればよく従うもので、仏教に帰せずして、他に何で心をただすできるのか、と言っている部分に太子の人間理解があるように思えます。
世間虚仮、唯仏是真
『天寿国繍帳銘文』に聖徳太子がよく語っていた言葉として記されています。世の中はむなしく仮の世界でありただ仏のみが真実のものであるということです。世間は虚仮のものだからといって、現実を逃避してよいというものではありません。真実の仏を求めることを説き、世間の事物を真実と誤り邪執を抱くことを戒めているように思います。
悠悠たる三界、純(もっぱ)ら苦にして安きこと無く、擾擾(じょうじょう)たる四生、唯だ患(うれひ)にして楽しからず
最澄(767-822)が比叡山に入り仏道修行の決意を述べた『願文』の冒頭です。「牟尼の日久しく隠れ、慈尊の月未だ照さず、三災の危きに近づき、五濁の深きに没む。加以(しかのみならず)、風命保ち難く露体消え易し・・・」と続きます。純粋な求道心を持った最澄が世の無常を嘆じ、衆生のために修行に尽くすことの誓願を記した名文です。
国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心あるの人を名づけて国宝となす
最澄(767-822)が国の宝たるべき人材を育てたいとの思いをこめた著述『天台法華宗年分学生式(=山家学生式)』の冒頭です。「故に古人言く、径寸十枚これ国宝に非ず、一隅を照らす、是れすなわち国宝なりと・・・」と続きます。私達や国にとって、世の中のほんの片隅を照らすような人材こそが、金銀財宝よりも尊い真実の宝なのです。
我が為に仏を作ること勿れ、我が為に経を写すこと勿れ、我が志を述べよ
最澄(767-822)は大乗仏教の理想追求に生涯を捧げ、遂にその力も尽きようとする死に臨んで「心形久しく労して一生此に窮まる」との言葉を遺し、弘仁13年(西暦822年)6月4日、57歳の生涯を閉じました。
これは亡くなる前に弟子達に遺した遺誡の一つにあげられています。自ら歩んだ理想追求の道が、これからも弟子達の手によって脈々と受け継がれてゆくように、厳しく命じた言葉だと思います。
道心の中に衣食(えじき)有り、衣食の中に道心無し
最澄(767-822)の遺誡と伝えられる一つです。仏道を求める心さえ堅固であれば衣食は自ずから具わり、反対に衣食を追求する心からは道心は生じない、最澄の当時もそして現代でも、物欲にかられてばかりで道心が失われていることが多い現状を戒めています。
虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん
『性霊集』に見え、空海(767-822)の誓願として伝えられる言葉です。「虚空が尽きて、迷う人々が尽きて、すべての衆生が救済され尽きれば、私の誓願も尽きるであろう」という意味に理解されています。
大乗仏教の究極の目的はすべての衆生の救済にあります。果たしてその理想はいつ実現するのでしょうか。それが完全に成就するまで、この誓願は永く永く続くのです。
「虚空」とは地水火風の四大に存在場所を与える空間と理解できます。「衆生」は生きとし生けるもの、救済されるべきもの、しかしながら仏性を有するものとも言えます。「涅槃」とは安らいだ悟りの境地のことですが、大乗仏教では、無住処涅槃という考えがあります。生死の世界にもとどまらず、涅槃の世界にも入ってしまわない状態の涅槃です。その状態で全ての人々を救済しようと活動すること、それがすなはち菩薩の実践なのです。
それら「虚空」「衆生」「涅槃」がすべて残り無く尽き、無に帰してしまうということは、一体どのような世界なのでしょうか?
貧を済ふに財を以てし、愚を導くに法を以てす
空海(767-822)が真言密教の師、恵果和尚(746-805)の徳を讃えた文章で、「財を積まざるを以て心となし、法を惜しまざるを以て性となす、故に若しくは尊、若しくは卑、虚しく往きて実ちて帰り、近きより遠きより、光を尋ねて集会することを得たり」と続きます。訳せば「貧者を救うには財をもって、愚者を導くには仏法をもってした。財を積んで貯めておこうとせず、仏法を教えることを惜しまない。そのゆえに身分の高い人も、低い人も者も、空しく行っても満ちて帰り、近くの人も遠くの人も、その光明を求めて集うこととなった。」ということです。
仏道を志す人の社会実践の理想ではないでしょうか。
夫れ仏法遙かにあらず、心中にして即ち近し、真如外かにあらず、身を捨てて何くにか求めん
空海(767-822)『般若心経秘鍵』に記されています。「真如」とはあるがままなことすなわち真理を指します。釈尊はすべてのものをあるがままに観察して(如実知見)して真理をさとったのでこう呼ぶようになりました。はじめの「仏法」も同じ意味です。自分自身の心の中にさとりはすでにあるということです。
哀なるかな哀なるかな長眠の子(じょうめんのし)、苦なるかな痛なるかな狂酔の人、痛狂は酔はざるを笑ひ、酷酔は覚者を嘲る
空海(767-822)『般若心経秘鍵』に出で、「曽(か)つて医王の薬を訪らはずんば、いずれの時にか大日の光を見ん」と続いています。さとりに親しもうとしない衆生の姿を嘆じ、いち早く仏法を学ぶべしと諭しているところです。
五大に皆な響きあり、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身はこれ実相なり
空海(767-822)『声字実相義』に、声字実相の体性(さが)と義用(はたらき)を示すためこの偈が説かれています。「五大」は地・水・火・風・空という主要元素。「十界」は仏・菩薩・縁覚・声聞・天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の世界。「六塵」は色・声・香・味・触・法という認識の対象を示します。密教哲学の真髄をあらわした有名な偈頌です。
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識(し)らず、生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し
空海(767-822)『秘蔵宝鑰』に出てきます。無知無明なる衆生が果てしなく生死流転するすがたを嘆いている箇所です。まず無知無明であること、生死流転の根源であることを知ることから仏道は始まります。「三界(さんがい)」とは欲界・色界・無色界の三つの世界をまとめて言う言葉、「四生」とは生き物の分類で、生まれ方の違いにより「胎生」「卵生」「湿生」「化生」の4つとしたものです。
若し自心を知るは即ち仏心を知るなり、仏心を知るは即ち衆生の心を知るなり
空海(774-835)の言葉として『続遍照発揮性霊集補関鈔』巻第九に見えます。「三心平等なりと知るは即ち大覚と名づく、大覚を得んと欲(おも)はば、まさに諸仏自証の教えを学すべし」と続いています。三心とは仏と自分と衆生の心です。さとりの立場から見るならそれが平等であると知ることができると説いています。
心を洗って香と為し、体を恭(つつし)んで華と為す
空海(767-822)の言葉として『性霊集』に記されています。仏道にいる者は日常こうありたいと思えるような名言だと思います。
厭離穢土、欣求浄土
浄土思想の有名な用語で、「えんり(おんり)えど、ごんぐじょうど」と読みます。我々が生きるこの世界(娑婆)けがれた場所であるので、それをいとい離れ、すなはち阿弥陀仏の極楽浄土をねがい求める心と同一となるのであります。源信(942-1017)の『往生要集』に第一が「厭離穢土」、第二が「欣求浄土」として解説されています。
因果共に空ならば、何れの処か浄土と定めん
源信?(942-1017)『万法甚深最頂仏心法要』にあり、「経に云く、迷ふが故に三界城(さんがいじょう)、悟るが故に十方空、本来、東西なし、何れの所にか南北あらん、・・・・・心性は本有の如来なり、十方は無作の仏土なり、何を偏に西方の一仏土に限らんや」と続きます。迷いの立場から見た世界と、さとりの立場から見た世界を対比的に述べて、本来のすがたに気づかしめ、迷いを払拭してくれるような文章です。
我身即弥陀、弥陀即我身なれば、娑婆即極楽、極楽即娑婆なり
源信(942-1017)作とされる『観心略要集』に出ています。とかく厭世主義に陥りがちな浄土教思想にあって、自分自身とこの世界を離れてさとりや仏国土は無いということを教えています。やはり今の世の中と自分自身を肯定し、懸命に生き抜いてこそ、阿弥陀仏の救いの有り難さを本当に理解できるのではないでしょうか。
一念の妄心(まうじん)を翻して法性の理を思はば、己心に仏身を見、己心に浄土を見ん
源信(942-1017)作とされる『観心略要集』にあります。前項の「我身即弥陀、弥陀即我身なれば、娑婆即極楽、極楽即娑婆なり」と同じことに通じます。
市中これ道場
空也上人光勝(903-972)はこう言い、いつも好んで市中に立ち、念仏をとなえながら民衆を教化し、市聖(ひじり)とか阿弥陀聖、市(いちの)上人とも呼ばれた人物です。また鹿角の杖をつき鉦をたたき、橋、井戸、道を造り、死人を葬るなど社会事業にも尽くしました。大乗仏教の菩薩行はかくあるべきなのでしょう。
彼の極楽何れの処ぞ、十方に遍ぜり
覚鑁(1095-1143)『一期大要秘密集』にあって、「・・・かくの如く観ずる時娑婆を起たずして忽ちに極楽に生ず、我が身弥陀に入り弥陀を替へずして即ち大日と成る、わが身大日より出づ、是れ即ち即身成仏の妙観なり」と続いています。密教の立場から述べられていますが、この世界この身のままに極楽往生を説いていることが注目されます。
弥陀如来法蔵比丘の昔、平等の慈悲に催されて普く一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行を往生の本願と為したまはず、唯、称名念仏の一行を以て本願と為したまへり
法然(1133-1212)『選択集』の第三「念仏往生本願篇」にある「弥陀如来余行を以て往生の本願とせず、ただ念仏を以て往生の本願と為たまえるの文」にあります。これこそが貧窮困乏、愚鈍下智、少聞少見、破戒無戒の我々すべての人達に救済の道を高らかに宣言した重要な一節であります。まさしく「もしそれ造像起塔を以て、本願としたまわば、すなわち貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たん」とある通りです。
念仏を信ぜん人は、 たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、 尼入道の無知のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし
法然(1133-1212)の遺訓として伝わる『一枚起請文』の一節です。念仏の信仰は自分が愚鈍であることを知ることから始まります。もし智者であるのなら、易行である念仏にすがる必要は無いのです。
なお、この中に「尼入道の無知のともがら」とあるのは、以前から女性蔑視だと批判する人もいます。いっぽう「尼・入道」と切って捉え、男女の僧尼を指すと解釈する人もあります。いずれにせよ現代の男女平等の人権意識に基づきこれに批判を加え、命がけで救いの道を探し続けた先哲の思想に対し、もしその価値を認めようとしないならば、それは現代人の傲慢であると思います。
罪深ければとて卑下したもうべからず、十悪五逆廻心すれば往生を遂ぐ、功徳少なければとて望を絶つべからず
法然(1133-1212)の言葉として『平家物語』に出ています。南都焼き討ちという罪を犯した平重衡がその罪の重さに恐れて法然のもとを訪れ、「願わくは上人慈悲を発し、憐を垂れて、かかる悪人の助りぬべき方法候わば示し給へ」と懇願、それに対しての法然が答えて言った言葉です。南都の徒が敵と恨んだ大罪人を法然はいささかの躊躇もなく許しています。
寺院を破壊して僧侶の命を断つなど十悪五逆の罪といえば、阿弥陀仏の本願でさえ本当は救われない人達なのです。そこを「回心すれば往生を遂ぐ」と教えているところに法然の徹底した救済思想があるように思えます。
大いなる哉心や、天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ
栄西(1141-1215)『興禅護国論』の序文に見えます。さらに「地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づ、日月の光はこゆべからず、しかるに心は日月光明の表に出づ、大千沙界は窮むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づ、それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで元気を孕むものなり、天地は我れを待って覆載し、日月は我れを待って運行し、四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す、大なる哉心や」と続き、心というものの遠大なるを教えています。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、偏へに親鸞一人がためなりけり
唯円編『歎異抄』の後記に親鸞(1173-1262)の言葉として伝えています。阿弥陀如来が衆生を救済しようとして立てられたご誓願は、よくよく考えてみれば親鸞一人のためであったと言うのです。そして「されば、そくばくの業を持ちける身にてありけるを、助けんと思し召し立ちける本願のかたぢけなさよ」と続いています。
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
親鸞(1173-1262)の言葉として唯円編『歎異抄』に見え、専修念仏思想の究極を伝える言葉としてあまりにも有名です。阿弥陀仏の本願は悪人を救うためにあり、悪人こそ往生にふさわしい機根であるという説、いわゆる「悪人正機説」です。元々法然の口伝に見られる思想で、親鸞はそれを受け継いだものと思われます。
いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし
親鸞(1173-1262)の言葉として『歎異抄』に出ています。仏門に入りどの修行もできなかったから、地獄はきっと自分にとっての住みかであろうということです。
一見みずからを卑下しているようです。仏教には厳しい戒律があり、困難な修行法があります。当時の仏教界では本当は誰一人として持律堅固にして高度な修行に達している人はいませんでした。ただそのような顔をしていただけなのです。
親鸞はみずからを正直に認め、当時隠れて妻帯する僧もいたのですが公然と妻帯し、その上で阿弥陀仏の本願に乗じた救済の教えを開いていったのです。
一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり
親鸞(1173-1262)の言葉、『歎異抄』に見えます。我々も含むすべての生きとし生けるものは、永劫におよぶ生死流転のなかで、いつかは親子となり兄弟となり、または夫婦となったかも知れません。もしくはさとりの立場から見れば、我々すべては仏の子として見えることでしょう。浄土教救済思想はその根底にこのような同胞思想に貫かれています。
久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土はこひしからずさふらふ
親鸞の言葉として『歎異抄』第九章に記録されています。浄土に生まれるということはよくよく考えれば踊躍して喜ぶべきことですが、宿業因縁によって生かされている我々は、それを喜ぶことができない、それは煩悩のなすところだと言っています。そして娑婆にいるべき因縁がつきたら浄土へ行けばよく、自然にまかせて生きることを教えています。
悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し名利の大山に迷惑して定聚の数に入ることを喜ばず
親鸞(1173-1262)『教行信証』にあります。そして「恥ずべし痛むべし」と結ばれています。みずからが愛欲におぼれ名利を求める心を克服できないでいることを悲しみ恥じた内容ですが、みずからを見つめてそれをこのように告白することは簡単なことではありません。みずからの愚鈍さや心の醜さを認識することが浄土思想の要です。
仏力をうたがひ願力をたのまざる人は菩提の岸にのぼることかたし、ただ信心のてをのべて誓願のつなをとるべし
親鸞(1173-1262)『唯信鈔文意』に見えます。阿弥陀仏の本願を信じてたのみさえすれば往生して救われるのであるが、実はそれを心底信じきることは極めて難しいのです。これを「易往難信」と言います。いかに仏とはいえ綱を掴もうとしない者を引き上げて助け出すことはできないのです。
信心よろこぶそのひとを如来とひとしとときたまふ、大信心は仏性なり仏性すなはち如来なり
親鸞(1173-1262)『浄土和讃』にあります。阿弥陀仏の本願を信じるならばすなわち往生することになり、それは成仏したのと等しいと見るのです。つまり如来と同じになります。私たちが本来有する仏性から信心が生まれすなわち往生し、仏の身となって、仏の慈悲に感謝をあらわすのが親鸞の説く念仏だと言えましょう。ですから念仏は自己の計らいで行なう行ではなくなるのです。
この如来微塵世界にみちみちてまします、すなはち一切群生海の心にみちたまへるなり、草木国土ことごとくみな成仏すととけり
親鸞(1173-1262)『唯心鈔文意』に出ています。仏性のあらわれである信心によってすでに往生したのですから、仏や浄土はこの世から離れて遠くにあるわけではなくなります。我々のまわり至る所に仏が満ちていることに気づかされます。
仏仏祖祖、皆もとは凡夫なり
道元(1200-1253)『正法眼蔵随聞起』第六にあります。皆はじめは凡夫であって修行を積んで仏祖となられたのであります。特別な人だったわけではありません。正しく仏道を歩めば、誰にでもさとりに到達することができるのです。
わが身愚鈍なればとて卑下することなかれ、今生に発心せずんば、何の時を待ちてか行道すべきや
道元(1200-1253)『正法眼蔵随聞起』第六、前項の続きにでてくる一節です。末法の意識にとらわれるあまり、いたずらに自分を卑下し仏道修行の機根でないと嘆くばかりで、修行を放棄するようなことがあってはならないと戒めているのです。
人々皆な仏法の器なり、かならず非器なりと思うことなかれ、依行せば必ず証を得べきなり
道元(1200-1253)『正法眼蔵随聞起』。仏教に正像末を立てられるのは方便であるとし、釈迦在世の時においてさえ、必ずしもすぐれた比丘ばかりではなかったわけで、今が末法の時代であると嘆き、自分がさとりをひらける器でないと悲しんでばかりいては何も始まらないのです。
眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず、乃ち空手にして郷に還る、所以に一毫の仏法無し
『永平広録』巻一、道元(1200-1253)が宋から帰国したときの思いを語った言葉です。
これまでの各宗の祖師たちは中国に渡って多くの経典などを持ち帰り、その業績を誇るのですが、自分は空手にして何も持ち帰らず、ただ眼横鼻直、眼が横にならび鼻がまっすぐであるというような当たり前の変わらない事実を認得して帰国しただけで、ほんの少しも仏法を伝えていない。つまり仏法とは言葉や書物で伝えるものではなく、人それぞれがごく当たり前の事実を具現し認得してゆくものであるという主張です。
正修行のとき、谿声谿色、山色山声、もに八万四千偈を惜しまざるなり
道元(1200-1253)『正法眼藏』谿聲山色第二十五。ここで正修行とは自己中心の心が完全に消え去った状態と解釈するようです。そのようなさとりの心で修行するならば、全ての事物や現象が法を説いてくれていることがわかると言うのです。
仏道を習うは自己を習うなり、自己を習うは自己を忘るるなり、自己を忘るれば万法に証せざれるなり
道元(1200-1253)のことばです。さとりとは自己をはなれて外にあるのではないと、多くの祖師たちが説いていますが、ここでは自己を習うということがすなわち自己を忘れることで、自然とさとりが開かれてくると言っているのです。自我の心を完全に捨て去ることがさとりに到る肝要だと説いているのです。
ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがうべきもなし、このときはじめて生死をはなるる分あり、生より死にうつるとこころうるはこれあやまりなり
道元(1200-1253)『正法眼蔵』生死。禅の世界では「生死事大、無常迅速」と言われるように、生死こそが最も追求されるべき問題とされます。生死という問題に対処するときの禅師のおしえです。「生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆゑに仏法のなかには、生すなはち不生といふ、滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ、生といふときは、生よりほかにものなく、滅といふときは、滅のほかにものなし、かるがゆえに生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ」と続きます。
愛名は犯禁よりもあし
道元道元(1200-1253)『正法眼蔵』第十六行持下、禅師の仏道修行に対する潔癖なまでの姿勢を物語ることばです。「犯禁は一時の非なり、愛名は一生の累なり、おろかにしてすてざることなかれ、くらくしてうくることなかれ、うけざるは行持なり、すつるは行持なり」と続いています。
極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか
日蓮(1222-1282)『報恩鈔』に見えます。日蓮の法華経理解は、末法時代に生きる人々のためにこそ説かれた真実の経典が法華経ということになります。その法華経の行者であるとの信念から、末法の到来を日蓮はむしろ喜んでいるかのようです。浄土教とは立場が完全に違っていて、この穢れた世界に於いてこそ修行する価値があると教えているのです。
世の中は喰うて稼いで寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりぞ
一休(1394-1481)の残した有名な道歌の一つです。「世の中は食うて はこ(糞)して寝て起きて、さてその後は死ぬるなりけり」と記された本もあるようです。
人間の一生はこのようなものだと考えるならば、あまりにも悲しいと言わなければなりませんが、よくよく考えるとこれ以上のものは何も無いのです。ありのままを認めて生きていかなければなりません。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり
蓮如(1415-1499)の有名な『白骨の御文(御文章)』にある言葉です。葬式や年回法要などでもよく読まれている名文です。全文を読んでみてください。
「夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり、さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり、されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり、すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども更にその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり、あわれというも中々おろかなり、されば人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて念仏もうすべきなり、あなかしこあなかしこ」。
家を出て、出家するのは難でない、難儀は出家した後に寺を出ること
江戸初期の曹洞宗僧侶、慧薫風外(1568-1654?)の言葉です。当時の(今も?)僧侶達の堕落ぶりを語っています。寺に安住して放逸の限りを尽くす僧侶達は多くても、寺を出て無一物となって仏道修行の本来のありかたに徹して生きる僧侶は少ないのです。
この糞袋を何とも思わず打捨つることなり、これを仕習うより別の仏法を知らず
鈴木正三(1579-1655)の残した言葉です。言うまでもなく糞袋とは人間の身体のことです。それを捨てることがすなわち仏法であるというのです。鈴木正三は武士の出で徳川に属していました。42歳で曹洞宗において出家、仁王禅の提唱者として知られています。
仏になろうとしようより、仏でおるが造作がのうて近道でござるわいの
こう説いた盤珪永琢(1622-1693)は臨済宗の人で、不生禅の提唱者として知られます。多くの祖師たちが教えているように、さとりというものは自分自身の心の中にすでにあり、仏の世界はこの世界から離れた処に存在するわけではありません。とかくわれわれは本来仏であることを忘れて、修行してさとりをひらき仏になろうと目指そうとしますが、本来の仏であろうとすることが近道なのだと言うのです。
衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし、衆生近きを知らずして、遠く求るはかなさよ、縦令ば水の中に居て、渇を叫ぶがごとくなり、長者の家の子となりて、貧理に迷うに異ならず
白隠(1685-1768)有名な『座禅和讃』の冒頭です。臨済宗の寺院では、勤行でよく唱えられているそうです。言うまでもなく、ここでは「一切衆生悉有仏性」の思想を言い表していますが、全体を通して仏法の要諦を示した名作だと思いますので、つぎに全文を掲載します。
『座禅和讃』
衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て、渇を叫ぶがごときなり
長者の家の子となりて、貧理に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて、いつか生死を離なるべき
それ摩訶えんの禅定は、賞嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等
其の品多き諸善行、皆このうちに帰するなり
一座の功を成す人も、積みし無量の罪ほろぶ
悪趣何処に有りぬべき、浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を、一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は、福を得ること限りなし
況や自ら回向して、直に自性証すれば
自性即ち無性にて、己に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ、無二無三の道直し
無相の相を相として、往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として、歌うも舞うも法の声
三昧無碍の空ひろく、四智円明の月さえん
この時何をか求むべき、寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり
各宗各々長所あり、長所あれば短所そのところに随ふ、其の長所に依行せば何宗にても可なり、若しその短所を執せば諸宗みな天魔なり外道なり
慈雲尊者飲光(1718-1804)『十善法語』。仏教には八万四千の法門があると言われますが、それらは全てさとりにいたるための要路にほかなりません。一宗一派に偏して深く学びもせずに他宗を批判したりするような、あさましい態度だけは捨てなければなりません。
わしが阿弥陀になるじゃない、阿弥陀の方からわしになる、なむあみだぶつ
浅原才市(1851-1932)妙好人に数えられる有名な人ですが、「口あい」と呼ばれる多くの詩を残しています。「世界虚空がみな仏、わしもそのなか、なむあみだぶつ」などたくさんあります。そのほかにも妙好人とよばれる無学文盲の念仏信者たちが、このように多くのすぐれた言葉を残しています。

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